■SFとしての「蟹工船」
2008年(平成20年)10月21日(火)の神戸新聞朝刊19面(文化)の辺見庸さんの連載「水の透視画法」お読みになりましたか?辺見庸さんは、『自動起床装置』 『ハノイ挽歌』 『赤い橋の下のぬるい水』 :今村昌平監督で映画化 『不安の世紀から』 『ゆで卵』『もの食う人びと』(共同通信社1994年 ISBN 4-7641-03249、角川文庫1997年 ISBN 4-04-341701-2) 『屈せざる者たち』 『眼の探索』 『反逆する風景』(講談社1995年)『夜と女と毛沢東』(吉本隆明・辺見庸対談) 『単独発言』(角川書店2001年) 『永遠の不服従のために』 『抵抗論』(毎日新聞社2004年) 『自分自身への審問』 『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社) 『記憶と沈黙』 『たんば色の覚書 私たちの日常』(毎日新聞社2007年) などを執筆された小説家です。
wikipediaによれば、宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として知られた。北京、モスクワ、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年には『近代化を進める中国に関する報道』により新聞協会賞を受賞。1987年、2度目となる北京特派員を務めた際、胡耀邦総書記辞任に関連した中国共産党の機密文書をスクープし、中国当局から国外退去処分を受けた。外信部次長を務めていた1991年、職場での経験に着想を得た小説『自動起床装置』を発表、第105回芥川賞を受賞した。また1994年には、社会の最底辺の貧困にあえぐ人たちや、原発事故で放射能汚染された村に留まる人たちなど、極限の「生」における「食」を扱った『もの食う人びと』で、講談社ノンフィクション賞を受賞。この作品は、小中学生向けに教育マンガ化され、学校図書館にも配架されている。1996年に共同通信社を退社、本格的な執筆活動に入った。近年は「右傾化に対する抵抗」、「テロリズムとの戦い」などをテーマに活発な論陣を張っている。2004年には講演中に脳出血で倒れ、2005年には大腸癌にも冒されたことを公表したが、2006年に『自分自身への審問』を復帰作として上梓するなど、精力的な執筆活動を続けられています。そんな辺見庸さんが、「蟹工船」ブームを自ら分析され、資本主義の本質を突き、資本主義が自ら資本主義の終焉を演出しているのではないか?と考えさせられる「蟹工船」評と、その分析を寄せられていますので、引用(『~』)して紹介したいと思います。因みに辺見庸さんはブログも公開されており、URLは、http://yo-hemmi.net/ です。
『■”半端ねえ”明日へ(辺見庸・水の透視画法より)
●会合で大学に行く途中、ラーメン屋でギョウーザ定食を食べた。たまたま相席になった学生二人は、それにラーメンを付けたセットメニュー(同五百十円)をズルズルかきこんでいた。口にものをいれたままの一人が「なんか、うめーもん食いてぇ・・・」。もう一人が「ぜいたくいうな、超安いんだから。”飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ”だってよ」。ぐちった方が「う、う、やめろ。食ってるときにそれいうな。気持ちわりい」。その時点では何の話かわからなかった。興味も無かった。若者たちはたちまちたいらげる。課題の本を読み終えたか、レポートをだしたか、たがいに問うている。あれこれ話してから、二人はしきりに慨嘆した。「半端ねえ。まじ、半端ねえよな・・・・」
●何が半端ではないというのだろうか。課題本の内容か。レポートのむずかしさか。世の中の急な暗転の不気味さか。聞き耳をたてた。話のはしばしからテキストが小林多喜二の「蟹工船」であることはわかった。声をひそめてかれらはいう。「あんな船、まじ、あったの?」「クソツボがいっぱいできてて、きったねえし」「現実感ないよな。けど、ひっかかるよな。おっかねえ・・・・」「また、ああなるってこと?」「わかんねえよ」。テーブルをはなれぎわに一人がつぶやいた。「SFみたいだよな・・・」。なるほど。私は内心あいづちをうつ。
●学生はかれの時代感覚から「蟹工船」をサイエンス・フィクションのようだといったのである。私は、しかし、「暗黒の木曜日」がおきた1929(昭和4)年に発表された小説が、ふたたび世界恐慌前夜といわれるいま、大学のテキストとなり、理解のどあいはべつにして、若者達に読まれているということが感にたえない、過去、現在、未来をふくみもつこうした時空間の全景こそ、まるで空想科学小説のようではないか。「飯のことで文句をいうものは、偉い人間にはなれぬ」だの「糞壷」だのという作中のことばや情景に、かれらは実感をもってはいない。でも、いまという時代が、見たことも無い深くて暗いクレバスに堕ちつつあることには、うすうす感ず居ているようだ。
●私は金色に光るキャンパスのイチョウのしたをゆっくりあるいていた。色のことをかんがえながら。多喜二といえば、なにより「黒とべにがら」の色がうかぶ。「・・・墨とべにがらをいっしょにまぜてねりつぶしたゆな、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている」。多喜二の遺体を見た作家、江口渙の文である。みごとな直喩に、学生だった私はこころを染められた。おびえふるえて、「墨とべにがら」ということばの混色を、まねたくても絶対にまねたことがない。1933年、特別高等警察による拷問で、逮捕即日になぶり殺された多喜二のからだの内出血が、どれほど凄惨であったか、「墨とべにがら」という混色はつたえている。「墨とべにがら」は以来、私にとって戦前、戦中のイメージカラーになった。これはSFではない。
●多喜二の作品は権力を怒らせた。「蟹工船」も「1928年3月15日」も。前者は不敬罪の対象とされ、後者は警察の拷問を描いたことで憎しみをかった。そのために、からだを「墨とべにがら」色にされたのだ。若者のおおくはそれを知らない。やっかいだな、と思う。「墨とべにがら」はいまはない、とされている。多喜二らをつかまえた治安維持法もいまはないことになっている。現在のダーク・チェンジは経済分野であり、国家全体のそれではない、とみなされている。そうだろうか・・・とつおい思いをめぐらせて私はあるいた。「墨とべにがら」色はいま、ぼんやりと社会の底に沈潜しているだけではないか。またうかぶこともないではない。
●「労働者が北オホーツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでも良い事だった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると・・・どんな事でもするし、どんな所へでも、死に物狂いで血路を求め出してくる」(「蟹工船)」。これをどうよむか。「蟹工船」セールにのりだした側は、多喜二の思想を広めたいのではなかろう。売れるから売るのだ。資本主義と経済はとどのつまり「どんな事でもする」。かつてより、”半端ねえ”のは、それではないか。(辺見庸)
●ご意見ご感想はメール=toshigaho@kyodonews.jpまで』
■「私たちは、こんな日本を目指しています」
●秒読み段階に入った感の強い、来るべき衆院選に向け自民党VS民主党の政権選択選挙ではなく、政治の中身を変える!日本共産党の躍進を誓って、多可町内随所で日本共産党・赤旗読者・後援会員の協力を得て、パンフレットの配布を精力的に行っています、現在中区内の配布をホボ終えて、現在は加美区内を配布しています、また今後は八千代区内を順次配布して行く予定です。
●麻生総理は「庶民的な会合や集会」に顔を出しては、庶民派であるようにアピールしていますが、夜な夜な、高級葉巻きを咥え、側近議員を連れて高級料亭・高級バーでの食事や歓談を重ねています、一般庶民の痛み!苦しみ!こころの叫びが、この御仁にはわかっていません!
●民主党の衆院選向けマニフェストをご覧になりましたか?自民党の主張とは、ほとんど「違い」ありません、つまり五十歩百歩なんです!まして「海外派兵」等にかんしては自民党のそれよりも危険な主張が多いのです。
●日本共産党を躍進させることは、日本的な風土になじみの無い「二大政党制」等という、「国民からすれば選択肢減らし!」の愚かな政策を抑止し、自民党・民主党の暴走に歯止めを掛ける事になります!また政治的にも、経済的にも、真に国民が主人公になる政治を作る第一歩になります。日本共産党の躍進を誓っていっそう奮起しようではありませんか!
■「語る会(対話集会)」へのお誘い
9月13日(土)は田野口で、10月4日(火)は坂本で、10月18日(土)は森本で、「語る会(対話集会)」を行いました、10月25日(土)は奥中で「語る会(対話集会)」を開催します、いづれの会場でも真剣に、国民が主人公の政治を模索する、前向きで楽しい集会です、貴方も親しい方をお誘いの上是非参加されて、みんなで日本の将来を、自分の事として、真剣に楽しく対話しませんか?
■みなさん支部会議に来ませんか
毎週いつもの場所での支部会議やっています、支部会議は党員相互のコミュニティー、貴方の日頃の思いや考えを、遠慮無く語れる憩いの場です、毎週火曜日、いつもの場所で貴方の参加を待ってます(*^^)

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